36日間

36日間

あなたは、「36日間」と聞いて、何だと思いますか?1ヶ月と少し?1年の約10分の1?それとも長めの休暇でしょうか?
人生にとって、「36日間」とは、どれほどの価値を持つのでしょうか?例えば、少年から立派な男性へと成長していく、長い人生の中で、それらの日々は、どのような意味を持ちうるのでしょうか?

あなたは、ある子どもの人生に何か大きな影響を与えるために、「36日間」を捧げたいと思いますか?もし、それがあなたの子どもだったら――?

あなたが、まだ若くて多感だった頃、混沌と困難に満ちた世界で、全てが不確かに思えた時のことを、思い出してみてください。自然とあなたは、両親のことを、強さと自信の象徴的な存在として、尊敬したでしょう。自分が大丈夫であること、そして、これからも守られること、この不確かな人生の荒波の中でも、安定した基盤を持って進むことができる、そういった灯台のような光を与えてくれる存在だったのではないでしょうか。

これこそが、理想として、親が子どもに与えるべきものなのです。

あなたが、若くして不安を抱えた子供で、数か月、数年、最悪10年以上も親と会うことが叶わずに、自分のルーツすら分からない状態だと想像してみてください。あなたは、親から、もう一方の親がどれほどひどい人間であるか、自分の親について何も知らないほうが幸せだ、と聞かされ続けます。あなたは、取り残され孤独に包まれます。そして、いつも疑問に思うでしょう――「本当にそうなのかな?父親が悪い人間なら、私も悪い人間なのかな?」と。
このような話がもし、その親がもう一方の親をただ恨んでいるがために作り上げられたもので、どれも真実ではないとしたら、子どもにとって何とも残念な悲劇なのではないでしょうか。

Man holding young son

この写真は、TJと彼の父親です。父親は2022年7月以降、自分の息子に会うことを「許されて」いません。
TJの母親は、怒りと恨みで、TJの人生を支配することを選んだのです。
そして彼女は、TJが父親について知ることを「許さない」こととしました。
この親子疎遠によって、TJは自尊心、自制心、感情のコントロールのなど、生涯に渡る困難に直面する危険にさらされます。
でも、一体、何のために?
母親に話を聞くと、まるで彼女は世界…?に対して復讐しようとしているようです。物事の在り方に対する..何か漠然とした憎しみ?があるのです。その根拠はあるのでしょうか。自分の息子を、世界に対しての無意味な怒りのはけ口にしていることに気付いていない、そんな彼女に同情するべきなのでしょうか?
TJの父親が望んでいるのは、息子との「36日間」だけです。1年のうち、息子に会い、父親と子がお互いを知るための「36日間」。
親子の絆の重要性、そしてそれが断絶されることによる様々な悪影響を考慮すれば、これは大した要求とは思えません。
しかし母親は、この短い交流の機会すらも拒み続ける一方で、養育費の支払いは要求し続けています。
TJは、複雑に絡む日本の親権法や母親の不当操作に、巻き込まれています。そして、父親から断絶された、辛い日々がただただ過ぎていきます。

彼が歩むべき人生とは、どんな人生でしょうか。
そして、TJの人生にとって、この「36日間」はどんな意味を持つでしょうか?